日本ワインの未来を担う″ウイルスフリー化苗″とは? 山梨大学ワイン科学研究センター 鈴木俊二教授 インタビュー

日本ワインの未来を担う″ウイルスフリー化苗″とは?   山梨大学ワイン科学研究センター 鈴木俊二教授 インタビュー
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ワイン用ブドウの栽培において、ウイルスや病原菌による病害は生産者を悩ませる大きなファクターの一つです。

このニュースレターでも病害について特集するなど注目してきましたが、日本のワイン研究の草分けである山梨大学ワイン科学研究センターが産学連携によって“ウイルスフリー化苗”なるものを育て販売を開始していると耳にし、同大学の鈴木俊二教授に詳しいお話を伺いました。

山梨大学ワイン科学研究センター

ウイルス病とは?

ブドウ樹に害をなすウイルスは数多くあり、その種類によって実が小さくなったり糖度が上がらなかったりと様々な障害を引き起こし、最終的には健康な樹よりも早く、10年ほどで枯れてしまうことがわかっています。

ウイルスは「遺伝子とタンパク質の囲い」という単純な構造の物体であり、カビや細菌のような生物ではありません。生物であれば農薬で代謝経路を阻害して阻止することが出来ますが、ウイルスは農薬では対処できず、またブドウ樹には免疫機能がないため、一度かかってしまうと枯れるのを待つか切るかしかありません。(厳密には人のウイルス感染のように対処薬を作ることは可能ですが、高額なので現実的ではなく行われていません。)

物体なのでウイルス自体に感染力はありませんが、虫などが媒介することで感染が拡がっていきます。害虫を完全に防除していれば感染はほぼ断たれますが、日本は小規模な畑が多いため地域一帯で漏れなく取り組む必要があり、なかなか難しいのが現状です。

ウイルス病に対する生産者の考え

ウイルスに対する考え方には生産者によって違いがあります。

畑の中で、健康な強い木とウイルスに罹った弱い木が混在して雑多な環境である方が健全だと考える方もいますし、ウイルスという異物は無い方が健全だとする方もいます。傾向として、ヨーロッパの生産者はウイルスに罹っていることを個性だととらえることが多く、対してアメリカなど新世界の生産者は効率を重視し、早くに枯れてしまうのであれば罹患した樹は抜いてしまった方が経済的だとする生産者が多いように感じています。

日本の場合は後者のように考える生産者が多いものの、ほぼ全てが小規模ワイナリーであるため生産量を確保するのに苦慮しており、抜きたくても抜けないという状況が見られます。

ウイルスに関する面白い例として、オーストラリアやニュージーランドで栽培量の多いシャルドネのメンドーサ・クローンがあります。このクローンはある特定のウイルスに罹っていることが必須条件(!)のブドウ樹です。ウイルスの影響で実が小さくなって味わいが凝縮し、美味しいワインができるのだといいます。

ウイルスフリー化の方法

ウイルスがいない(ウイルスフリー)苗木をつくる技術自体はそれほど難しくはなく、フランスやアメリカでは既に政府主導でフリー化苗を渡すシステムが確立されています。日本でも注目はされていましたが、手間と時間がかかるため「ワイン科学研究センターでやるしかない!」ということで山梨大学と複数の苗木屋との産学連携によって実用化が始まりました。

方法としては、ブドウ樹の枝の先の部分(成長点)を培養し、苗木まで育てていきます。成長点は細胞分裂のスピードが早いためウイルス感染が追いつかず、ウイルスフリーの状態が維持されるため、その細胞を培養して育てることでウイルスとは無縁の苗が出来上がるわけです。

立派に育った苗は2段階でPCR検査を行い、10種類のウイルスについて感染がないことがチェックされます。未知のウイルスがないとはいえませんが、ブドウ栽培に関係する主なウイルスについては確認が取れており、出荷段階ではウイルスがいない状態を実現しています。

枝の先の部分(成長点)を培養
苗木まで成長させる

培養から苗木屋に渡す苗まで育てるのに1〜2年、そこから苗木として出荷可能にするまで更に1〜2年がかかります。現在は50種類以上のクローンのウイルスフリー化苗を育てており、今年やっと商品化まで辿り着きました。

不思議なことに、日本を代表する品種・甲州はワイン科学研究センターではなぜか成長してくれないため、他の機関でウイルスフリー化を行っています。ホルモンの状況が合わないことが考えられますが、まだ原因は分かっていません。

ウイルスフリー化苗の未来

ウイルスフリー化された苗木には、元々のクローン番号の後に『. j1』という表示をつけて他の苗と区別できるようにしています。今後重要な目印になっていくと思いますが、注意が必要な点もあります。

ブドウ栽培家によっては自分で苗木を育てている人も多いのですが、ウイルスフリー化の苗を自己増殖させてしまうと「ウイルスに罹っていない」という保証がされず、『. j1』という名前が形骸化してしまう可能性があります。そのため、販売時には自己増殖しないという決まりを定めており、生産者の皆さんには遵守していただく必要があります。

課題はあるとはいえ、ウイルス感染に対する解決策は、放っておくか、切ってしまうか、ウイルスフリー化苗を選ぶかの3種類しかないため、ウイルスフリー化苗の需要はとても高く、今後どんどん増えていくだろうと考えています。


[今回ご協力いただいた機関]

山梨大学ワイン科学研究センター

Email:suzukis@yamanashi.ac.jp 住所:山梨県甲府市北新1-13-1

有限会社ラグフェイズ

Emai:nursery@lagphase.wine 住所:山形県鶴岡市豊栄字宅地92

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